8月の切なさ
仕事の休みも今年は3日間。
あっという間に、明日からまた仕事です。
8月はいつも、夏休みの楽しさと一緒に、なんとも言えない切なさがやって来ます。
今日は、終戦記念日。
小学生の頃、お盆休みの楽しい思い出の中に、いつも切なさが混じっていました。
かんかん照りの太陽、
蝉の声、
黙祷、の鐘の音。
と言うのが、もれなく私の8月のイメージです。
うちは、母型のおじいちゃんが映画館をやっていました。
始めたのは、ひいおじいちゃん。
私の実家のある地域の近くには、
中島飛行場という、戦中唯一空爆されなかった基地があります。
戦中は、特攻隊で行くことがきまった人が、ひいおじいちゃんのお店に来ることもあったそうで、
(飛立つ前日だか当日は、自由時間が与えられるのだとか)
長崎の記念館には、特攻隊で亡くなった方の手紙に、ひいおじいちゃんの名前も書いてあるそうです。
生前お世話になりました、ということで、名前が書いてあるのだとか。
戦後は中島飛行場をアメリカ軍が占領。
そのアメリカ兵達に対してビジネスを始めたのも、ひいおじいちゃん。
今で言う、クラブ?社交場?みたいな所を作ったそうです。
こんな話を知ったのは、大学生になってからだけど、
なんとなく、私と戦争は、縁遠くないような気がしています。
経験はしていないけど、身近に沢山の戦争のエピソードがあるからかな。
以前、別のブログに、
おばあちゃんの婚約者が特攻隊で亡くなってしまったことを書いたのだけど、
実はおじいちゃんは、
東京で、アメリカ軍の機体や武器を解体して研究して日本の戦闘機に組み込む役割をしていたそうです。
(今年96歳なんだけど、本人は全くこの話をした事がなく、しちゃいけない契約だったのかな?、家族の誰も知らなかったのだけど、若干痴呆入ってきた頃から、聞くとチラホラヒントが出てくるようになりました。笑)
東京にいたのに、
空襲にも会わず、
それなりの歳なのに、
徴兵されなかったのは、
国家機密的な任務があったのかな。
謎ですが。笑
でも、撃ち落とされた米軍の戦闘機を解体したり、
戦地から持って帰ってこられた部品を調べたりして、
敵国の性能や技術を調べていたというのだから、
なかなか濃いエピソードです。
そんな今年の終戦記念日は、
「戦後ゼロ年」と言われる、終戦直後の様子などが、やっと表に出てきました。
その後の日本のアメリカの関係、
今の日本にも残る数々のしわ寄せは、
この時意図的に作られていました。
戦争は、
沢山の命を犠牲にしましたが、
そこだけがフォーカスされたらダメだと思います。
なんで起こったのか。
政治とお金が必ず動いています。
それは、昔も今も、
大して変わらなくて、
だからこそ怖いんだと思います。
この記事は、切り口はちょっと違うけど、
当時の政治家達の恥ずかしい姿がよく分かります。
なぜ終戦後数十日で10億円の予算をかけてアメリカ兵のための慰安所を国内に作ったのか。
自分たちが、他国でしてきた事を、分かっているからだと思います。
放っておいて同じ事をされるくらいなら、と言うことなんでしょうが、
実際はこれによって、性犯罪も増えていきました。
https://headlines.yahoo.co.jp/article?a=20180815-00056962-gendaibiz-bus_all&p=1
亡くなった沢山の命のためにも、
私たちは、誇りある日本人のアイデンティティを繋いで行かなくてはいけないんだと思います。
生きる上での美しさとは、
富や財産、権力を持つことではないはず。
今の若者は、
8月に切なさを感じるのかな?